「推命学と人相」その223
人間には何かしらの障害、トラウマ、失敗がある。
数えたら沢山あると、思う人もいるだろうし、一つ二つと感じている人もいるはずだ。
その数が多かろうが少なかろうが、それは人が生きていく意味や意義、また人生観を形成したりもできる作用として働きかけていることがある。
解りやすく言うと、健康を意識しながら生きていくのと、ある障害的不便さを持って生きていくことに、宇宙規模の優劣はない。
人間と犬、ゴキブリやミミズに存在感の強い弱いはなく、あくまでも共存しているとしか答は、いやその真実こそが答である。
共存と過保護は異なることを、ペット愛好者にあえていわねば、人間が飼育化されている現状を、人間が理解し得ないのではないかと疑念し、使わせて頂きたい。
現代人はブロイラーの生き方に近づいている。
衣食住に性、出産。
科学が科学を信じ続けている様は、まるで霊界を信じてスピリチュアルに可能性を見出だそうとする、不思議な人達にとても似ている。
人間のブロイラー化は、前記した二つの原因と結果かもしれないし、相乗であるかもしれない。
いづれにしろ、ともに病的と、私には映るが、実はそんな障害的な幸福感さえもブロイラー故に、幸福と思うのであるかもしれない。
障害、健康、差別をマイナスの意識で捉らえる限り、科学絶対、霊界絶対、この狭間で人の心は揺れている。
この揺れ動きは、地震のように不安を伴う振動である。
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